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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime15Number2-3



併設展示
昆虫標本の世界 −採集から収蔵、多様性保全まで−
Insects −From Collection to Biodiversity Conservation −

「昆虫展」展示報告

矢後勝也 (本館特任研究員/昆虫体系学・保全生物学)
 2010年7月24月〜10月30日のおよそ3ヶ月間、東京大学総合研究博物館の2階展示会場にて「昆虫標本の世界 ─採集から収蔵、多様性保全まで─」が開催された。本館には、明治期に活躍した箕作佳吉、名和靖、高千穂宣麿、中川久知などの著名な生物学者らを由来とする歴史的コレクション、セミ類を中心に数多くのタイプ標本が含まれる加藤正世コレクション、1940年代から収集された昆虫全般を網羅する須田孫七コレクション、世界のチョウ類を結集した五十嵐邁コレクション、珍しい昆虫類を広く集めた江田茂コレクションをはじめとする、多様かつ貴重な昆虫標本が収蔵されている。その標本数は25万点を超え、国内でも有数の保有量を誇る。このような多数の昆虫標本をなぜ収集する必要があるのか? 学術的にどのような意味を持つのか? という疑問を持つ方も少なくないだろう。その1つの答えとして、実は多くの昆虫標本から過去の昆虫相の変遷を調査することで、近年に見られる生態系破壊や地球温暖化、外来種問題など、あらゆる環境変化を直接的にうかがい知れることが挙げられる。
 本企画のメイン展示(中央展示場)では、あえて普段あまり目につかない小さな昆虫類にこだわった。須田コレクションを主とするコガネムシ類、ハムシ類、カミキリ類、シジミチョウ類、イトトンボ類、アリ類などの小昆虫である。これらが保管された大型標本箱を10箱ずつ左右の壁面に備え付けることで、小さいながらも圧倒的な情報量を保持する昆虫標本の迫力を伝えた(図1、2)。これに加え、中央展示場では採集から標本作成、研究、さらには収蔵に至るまでの一連の作業を周回することで紹介した。まず四隅にガラスのショーケースを置き、右手前側のショーケースでは通常目に触れることのない本格的な採集道具の数々を並べ、説明書きを添えた(図2)。右奥側のショーケースでは採集した昆虫の一時整理の方法を示した。中央台には展翅板や展足板などの道具を用いて標本を作製し、その後、ビノキュラや解剖器具を用いて研究する様子を見せた(図2)。左奥側ケースではこうした研究から生み出された論文や新聞の他、新種として発表された昆虫標本など、最近の研究成果を展示した。さらに正面中央奥にあるショーウィンドウの展示ガラスケースでは、研究成果の中でも特に「生物多様性保全」と直接結び付く重要なマクロ先端的研究の成果を昆虫標本や植物標本と合わせて発信した(図3)。例えば、外来生物が在来の生態系を破壊する例(グリーンアノールと小笠原の固有昆虫、ザリガニや水草と水生昆虫)、地球温暖化と植物の移動・植栽により分布変化を起こした例(ヤクシマルリシジミ、クロマダラソテツシジミ)などである。中央展示場の最後となる左手前側ケースでは、標本箱を収納した標本棚を置いて、昆虫標本の長期的な収蔵・保管の様子を表した(図1)。
 一方、中央展示場を取り巻く左右の回廊も利用することで、多くの資料を展示した。左側の回廊では、五十嵐コレクションからテングアゲハを代表とするチョウ類標本の入った標本箱2箱と五十嵐博士自身によって描かれたチョウ類幼生期の原画14点、すでに絶滅している東京産の水生昆虫やオオクワガタなどを含む明治期から受け継がれた箕作コレクションの標本箱6箱などを公開した。いずれも歴史的重厚感があり、しかも自然美溢れるものばかりである。この他にも、近年注目されている生物多様性保全についての解説や本年10月に開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の内容を展示することで、生物多様性保全の重要性も訴えた。
 右側の回廊では、世田谷区の古いチョウ類で構成される坂戸直輝コレクション2箱を展示した。中には環境省RDB絶滅危惧I類種・オオウラギンヒョウモンの世田谷区産の標本が含まれ、福田晴男氏により出版された「世田谷区の蝶」でも世田谷区唯一の記録として掲載されている。また、元労働省官僚だった江田氏が収集した貴重なチョウ類標本3箱、2年前に当時幼稚園児だった桝田皐士郎氏から寄贈頂いた希少なカブトムシ雌雄型も展示した。
 これらの展示デザインは関岡裕之特任准教授のアドバイスを受けることで、大人の落ち着きとアンティックな雰囲気が漂う展示となった。他にもポスター・チラシの作成も手がけて頂いたが、このデザインがとてもすばらしく、さらに重厚かつ壮美な展示に仕上げて頂いた感がある(図4)。
 ところで、今回の展示タイトルには「採集と保全」という一見相反するキーワードを込めた。これには採集で得られた学術標本という“実物”の存在が、人類存続のために欠かせない生物多様性保全の基礎となるとともに、環境問題を浮き彫りにする何よりの証拠となるためである。ちょうど本年は、前述のようにCOP10が名古屋で開催され、国連でも「生物多様性年」と定めた節目の年となった。今回の展示を通して、生物多様性という言葉の意味を広め、“昆虫標本=実物”という根拠に基づいたマクロ先端研究の成果を発信することにより、学術標本の持つ意味や生物多様性保全の必要性を提示し、また環境保全の推進だけでなく地球温暖化や環境変動のような社会問題にも貢献しうる期待を込めた。この願いを個々の観覧者が自発的な感性で捉えられて頂けたならば幸いである。
 最後に、本展示は環境省・関東地方環境事務所および東レ(株)の後援を頂いた。また、その他にも以下のような多くの協力機関や協力者のご支援により成し得たものである。国立科学博物館、大阪府立大学、神奈川県立生命の星・地球博物館、日本チョウ類保全協会、須田真一、須田孫七、五十嵐昌子、江田悦子、坂戸直和、植村和彦、桶田太一、桝田皐士郎、上島励、福田晴男、山崎誠、松原始、中坪啓人、清水晶子、石綱史子、門脇誠二、鶴見英成、黒木真理、矢野興一、小沢英之、山田哲也(順不同)。これらの各機関並びに各氏にこの場を借りて心よりお礼を申し上げる。



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図1 小昆虫が入った右側壁面の標本箱と左手前側ガラス
ショーケース内の標本棚(中央展示場)。


図2 中央台の標本作製器具および解剖・研究器具(中央
展示場)。 奥には右手前側のガラスショーケース内の
採集道具と左側壁面に備え付けた標本箱が見える。


図3 「生物多様性保全」に関して発信した研究成果
(正面中央奥)。


図4 今回の「昆虫展」のチラシ。