松本文夫
(本館ミュージアムテクノロジー寄付研究部門特任准教授/建築学)
インターメディアテクは、千代田区丸の内の旧東京中央郵便局跡に完成したJPタワー内にある学術文化総合ミュージアムである。東京駅に面する旧郵便局の外壁空間を免震構造で保存して低層部とし、高さ200mの高層オフィスタワーを新築している。インターメディアテクはその保存棟と新築棟にまたがる2階・3階に位置し、延床面積は2996uである。1931年に竣工した東京中央郵便局は、逓信省経理局営繕課の吉田鉄郎によって設計された日本の初期モダニズム建築を代表する作品である。東京駅直近の敷地に郵便の集配・窓口・執務の機能を組み込んだ大型建築であり、適確な平面配置と立面構成によって破綻のない全体計画を実現している。鉄・コンクリート等の新素材の導入やファサードの正面性の確保といった西洋建築の特性を取り込みつつ、柱梁と大開口による簡明な空間構成という日本建築の特性を兼ね備えており、日本のモダニズム建築の受容と進化のあとを留める貴重な歴史遺産となっている。
旧東京中央郵便局をミュージアムにすることには、建築的にみて三つの意義があると考えられる。第一に「歴史的建造物の転生」である。時代の役目を満了した歴史的建造物を新たな目的で役立てることは、建築の保存問題に対する前向きの解決策となる。パリでは鉄道駅がオルセー美術館になり、ロンドンでは火力発電所がテート・モダンになり、ベネチアでは海の税関が現代美術館になった。東京では歴史的オフィス空間が文化創造施設に生まれ変わる。持続可能な環境形成という観点からも、建築の転生は重要な検討課題である。なかでも、スクラップ&ビルトの流れに翻弄されてきた近代以降の建築の再活用は、現代都市の普遍的な課題のひとつである。
第二の意義は「大規模空間の継承」である。インターメディアテクがはいる旧東京中央郵便局の北側部分は、長さ66m、幅12m、階高5.5mに及ぶ大きな空間を内包している。もともと局舎の1階から3階までは郵便物の仕分けなどを行う現業室に充てられていたために通常のオフィス空間よりも階高が高い。現代の東京都心部では得がたいボリュームであり、世界の主要ミュージアムの展示室と比較しても引けを取らないスケールである(図1参照)。この奥行きの深さと天井の高さを生かし、大空間を細分化することなく継承することには大きな意義がある。結果的には構造壁の新規追加の対応はあったものの、空間の連続性を極力確保することによって、そこに展開されるモノやアクティビティの多様性が一望しやすくなる。
第三には「都市的流動の増進」である。JPタワー敷地の西側道路に「大名小路」の名前が残る通り、丸の内には江戸城に隣接して多数の大名藩邸があった。やがてこの地は陸軍の軍用地を経て三菱の岩崎弥之助に払い下げられた。三菱一号館の完成(1894年)を嚆矢として一丁倫敦と呼ばれるオフィスビル街が誕生し、中央停車場の開業(1914年)を経て東京の玄関口に成長していく。2000年代に入って東京駅周辺の再開発が一段と進み、多数の高層ビルが立ち並ぶ地域となった。このように過密化する中心業務地区に新たな文化施設を配置することは、人の流れを流動化し地域全体を活性化させる働きがある。上野公園のような集中型の文化ゾーンではなく、多機能共存型・分散流動型の都市圏域の創成に貢献する。
東京大学総合研究博物館では、ミュージアムの新たな存在形式を探る実験研究を行ってきた。その理念は2006年以降の「モバイルミュージアム」の実践に集約されている。ミュージアムを社会のさまざまな場所に出していくこと、内から外へ、スタンドアロンからネットワークへとミュージアムを拡張する方法を模索してきた。大学のキャンパスを出て都市中枢で活動することは、大学と社会の新たなインタラクションを築くもので、外部化試行の一つの集大成である。一方で、本施設に与えられた「インターメディア」というコンセプトは、縦割りにされがちな学術実践を各種の表現メディアを介して横断的な創造に結びつける試みである。すなわち、ミュージアムを保存公開だけでなく創造発信の拠点へと組み替える提案である。モバイル(流動性)とインター(相互性)という二つの接頭辞は、文化的な制度設計の新たな方向性を示唆するキーワードである。それを具現化する建築空間は、類型的な博物館・美術館として想定されるものとは大きく異なる。個別の機能要求に応えた諸室を並べるのではなく、さまざまな創造実践を可能にする「プラットフォーム」としての強靭性と柔軟性を兼ね備えた空間が求められる。旧東京中央郵便局で萌芽した端正な空間は、そのような潜在的な力をもちあわせているように思える。