東京大学総合研究博物館 The University Museum, The University of Tokyo
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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime16Number3



平成23年度「学芸員専修コース」共同企画展示
蝉學 加藤正世の博物誌

矢後勝也 (本館特任助教/昆虫体系学・保全生物学)
佐々木猛智 (本館准教授/動物分類学・古生物学)

 東京大学総合研究博物館の2階展示会場にて、学芸員専修コース・共同企画展示「蝉學 加藤正世の博物誌」がスタートした。2011年11月22日〜2012年3月25日のおよそ3ヶ月間の開催で、セミを主体とした新規収蔵の昆虫コレクション展(図1)である。
 加藤正世博士(1898?1967年)は、昭和初期の昆虫分類学の黄金期を支えた著名な昆虫学者であり、セミやツノゼミ、ウンカが属する半翅目昆虫を中心に研究され、セミ博士と称されるほどのセミ研究の権威として知られる。一方、高校教諭をされていた職業柄、昆虫を用いた教育普及活動の先駆的な人物でもある。石神井の自宅に?類博物館を開館して、趣味の昆虫採集を通した自然誌学の普及に努めるとともに、「昆蟲趣味の会」を立ち上げて昆虫雑誌「昆蟲界」を発行し、多くの昆虫少年・青年たちに発表の場を提供することで、後の日本昆虫界をリードする多くの昆虫研究者を育成した。
 加藤博士の死後、貴重な標本・資料等のコレクションは、ご遺族により長野県茅野市の個人の所蔵館内で大切に保管されていたが、2010年8月に加藤博士の孫・鈴木真理子氏が本館に来館されて寄贈の意向を示され、同年10月に加藤博士の五女・鈴木薗子氏から正式にご寄贈頂いた。このコレクションはセミ類を主体としたホロタイプ標本400点を含む約5万点の昆虫標本で構成される。他には直筆原画や書籍・論文、写真、採集・研究道具など、貴重な資料も多く含まれる。標本群の中には、戦前から戦直後にかけての東京近郊で採集された種が数多く見られ、当時の関東平野の昆虫相を知る上でも非常に重要な資料といえる。また、日本昆虫界の祖とも言われる素木得一の丁稚としての修業時代(1923?1928年)に台湾で採集した標本もかなり含まれるなど、その内容は国内産に留まらない。書籍の量も膨大で、加藤博士自身も800以上の論文・報文と60を超える著書を執筆している他、若い頃は航空機操縦士でもあったことから、戦前・戦後の航空関連の貴重な物品も残されている。
 本館では、平成5年度以来、博物館のリカレント教育の場として「学芸員専修コース」を開講し、異なる発想や知識、経験を持つ各地の専門職員が、本館の展示研究者と意見交換しながら多彩な実習や企画を行い、独創的かつ魅力的な展示を共同制作する事業を続けてきた。本年度は、故・加藤正世博士の新規収蔵コレクションを対象として、14名の受講者(図2)による共同制作展示を実施した。生物学史や博物館デザインの講習を受け、合間にバックヤード研修を挟みながら、わずか5日間で企画案から展示まで遂行しなければならないというタイトなスケジュールではあったが、「学芸員専修コース」により完成した共同企画展は見応えあるものとなっている。
 今回の展示では、昭和初期の昆虫学をテーマとして、加藤コレクションが持つ伝統的な雰囲気を残すことに重点を置いた。昭和のイメージカラーとして橙色を基調とした。タイトルには旧字体の「?學」をあえて用いることで、文字からも時代を感じられるように趣向を凝らした(図3)。説明のキャプションは少ないが、これは来館者が一点一点の作品を「鑑賞」するというより、展示品に囲まれて空間全体を「体験」して頂くインスタレーション展示に挑戦した(図1)。
 用いられた展示品は、標本の収められた標本箱や液浸標本の他、執筆された書籍、原画、玩具、さらには愛用のセミ用捕虫網、ヘルメット、顕微鏡、解剖道具など計約150点である(図4〜6)。このうち標本箱内に並べられている昆虫標本の数は約2000点で、主に東京・石神井産と台湾産である。東京ではすでに絶滅した昆虫も含まれており、当時の豊かな環境を垣間見ることができる。学術的に極めて貴重なエゾゼミのホロタイプ標本(図7)や著名な図鑑の原画からは、博士の研究に対する厳しい姿勢が受け取れるだろう。愛用したヘルメットや捕虫網からは、フィールドを重視した調査の情景が思い浮かぶ。教育普及活動に用いた昆虫工作や写真、玩具からは、博士のやさしさと几帳面さが伺えるかもしれない。加藤博士の気鋭な精神が込められた昭和の「?學」に触れ、博物学的な研究と教育が融合された世界を来館者が個々の感性で捉え、昭和初期の昆虫学とは何かを体得頂ければうれしい限りである。
 最後に、この共同企画展は以下の「学芸員専修コース」受講者によって制作された。四方圭一郎(制作リーダー)、相澤 毅、大島康宏、工藤 悠、慶野結香、染井千佳、木愛子、武浪秀子、中嶋浩子、原 朋子、藤井千春、三村麻子、山田真理子、渡邉淳子。また講師陣として外部から東洋大学の大野正男名誉教授、埼玉大学の林 正美教授をお迎えした他、本館からは関岡裕之特任准教授、松本文夫特任准教授、松原 始特任助教にご講義、ご支援頂いて成し得ることができた。制作後の展示評価では西野嘉章館長や本館ボランティアの方々に大変お世話になった。本館の各バックヤードでは遠藤秀紀教授、池田 博准教授、宮本英昭准教授にご講義を頂いた。制作補助として中坪啓人、須田孫七、小沢英之、粟野雄大の各氏にもご協力頂いた。この場を借りて心よりお礼を申し上げる。


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図1 「蝉學展」内のパノラマ(撮影:松本文夫)


図2 今回の学芸員専修コースの受講者


図3 「蝉學展」のチラシ


図4 セミの幼虫や成虫、セミヤドリガなどの標本


図5 加藤正世博士ご自身の執筆書籍


図6 中央台に展示された標本作製器具および解剖・研究
器具. 奥には多くの標本箱と愛用のヘルメットが浮かぶ



図7 エゾゼミのホロタイプ標本