西秋良宏 (当館教授・先史考古学)
『学芸員専修コース』というのは、平成5年度から当時の総合研究資料館、そして現在の総合研究博物館が継続しておこなっている学芸員リカレント教育プログラムの一つである。受講資格は博物館関連業務に関わる社会人としているが、実際の受講者は、博物館学芸員だけではなく、埋蔵文化財担当者や企業のディスプレイ担当者など多様である。今回で20回目であるから、扱ってきた研修テーマも様々である。特定分野の学術的知識、あるいは標本分類・保存に関する実践的知識を深めるための講義、実習で構成したこともあれば、現実の制約に縛られない理想の博物館について理念や夢を語り合うこともあった。
ここ何年かのテーマとなっているのが展示の共同制作である。平成14年度に試験的に実施した後、少し間を開けて、平成21年度から再開した。限られた資源と予算でもって魅力的な展示を開催し続けることは多くの学芸員を悩ませる事案の一つである。そのための方策を皆で考え、実践してみようというのが企画の趣旨である。24年度は当館の遠藤秀紀、佐々木猛智が『標本の収集と表現』という大テーマを掲げ、実施することになった。
この企画は相変わらず過酷である。講義と実習、そして展示制作。全国各地から集まった初対面の受講者同士がわずか5日間で新しい展示をオープンせねばならないのだからびっくりする。展示制作の題材に選ばれたのは、1998年に当館に寄贈された「渡辺仁コレクション」である。このコレクションを受入れ、管理を担当している筆者は、監修という立場で5日間の研修に参加した。
渡辺仁コレクションというのは、本学の理学部人類学教室、文学部考古学研究室で教鞭を執られた渡辺仁教授(1919-1998)が残した学術資料群のことである。生態人類学を専門とされていた渡辺教授にとって、ヒトの生態を理解する資料は、その由来が現在であっても過去であっても関係なかった。時には考古学者として先史人類の遺跡を調べて過去の生態を考察することもあれば、一方で現生の諸民族を調査して狩猟採集民の生態を解き明かすこともあった。時間的に、そして地理的にも幅広い野外調査を展開した渡辺教授は、結果として、アイヌ民族、ニューギニア狩猟採集民、ラオス農耕民、中近東のネアンデルタール人などに関する多彩な学術資料を残すこととなった。標本のみならずノート類が充実していることも特徴である。野外で記録したフィールドノートだけでなく、文献の抜き書きや構想メモなどを含めると数百冊にものぼる。その内容は当館の標本資料目録第68号に刊行されている(拙稿『渡辺仁教授旧蔵資料目録』、2007年)。
さて、5日間の研修の初日、展示制作にあたって何をテーマにするのかが話しあわれた。パプアニューギニアで収集された弓矢を取り上げようというのはすぐに決まった。実際、この資料は渡辺コレクションの白眉とでもいうべきものである(拙稿「ニューギニアの弓矢」本誌第8号、1999年)。1971年の夏、パプアニューギニア西部のウヲニエという狩猟採集民集落の人々が製作し、使用していた弓矢の全てを収集、分析した渡辺教授によって残された資料群である。そのうち約70本の矢がコレクションの中に含まれている。鋭い矢先を備えたホンモノの狩猟具は圧巻である。また、受講者は圧倒的なノート類の凄味にも目を奪われたようだ。弓矢の形状、サイズなどだけでなく、その製作者や所有者の年齢、血縁関係、使用歴など属人データもびっしりと記録されている。渡辺教授が「弓矢センサス」と名付けた独創的研究に用いられた一級の資料群である(Watanabe, H., 1975, Occasional Papers in Anthropology 5, University of Queensland)。
これらをどうまとめあげるのか。議論を通じて出てきたのは、「生と知への欲求」、渇望、両極・・・。哲学的なワードがいくつかならんだ。筆者は傍聴者のような立場であったが、知的欲求の迫力を伝えようという受講者の意図は議論の中でもよくわかった。渡辺教授のノート類が雄弁に語っている。しかし、生への欲求という点は、にわかには理解できなかった。それが、すとんと腑に落ちたのは、研修期間も終わりが近づいた頃、展示タイトルの案として「ハンターズ(Hunters)」という言葉が提示された時だ。「どこまでも追い求める」というコピーもついていた。獲物を追い求めた40年以上も前のパプアの狩猟者たちと、人類学を熱く追い求めた渡辺教授へのオマージュとしてこれほどふさわしいタイトルはないように思えた。展示をまとめ上げる際の言葉の力に改めて感じいった。
さて、会場は2階展示室である。中央に長方形の井戸のような1階からの吹き抜け穴があり、それをふさいで作った仮設の展示台が鎮座している。仮設といっても動かせない。しかも、少々背が高いから、これを使いこなすには工夫がいる。今回は、このプラットフォームの背に廃材のアクリル板をはりつけ、そこに空けた無数の穴に矢が取り付けられた(図1、2、3)。その結果、展示台には何も置かれず、背後から鋭い先端(鏃)を会場入り口に向けた60本ほどの矢がならぶさまが出現した。そして、周囲の壁に配されたのは渡辺教授の野帳諸ページを拡大して作った壁紙、四隅には弓や弓矢製作具などの実物標本と細かな解説(図4、5)。野外調査時に撮影された8mmフィルムの映写もついた。
たいへんシンプルな構成だが中央と周囲というコントラストも利いているし、2種類のハンターが追い求めた生と知というテーマも十分、表現されている。中央の展示台の色を赤にして、くすんだ野帳のイメージとしての薄茶色で周囲の壁を整えたという対照もあざやかに見えた。生気あふれる赤とともに来館者に切っ先をむけた大量の矢群は、まさに展示の見せ場となった。わずかの準備期間中、突貫工事でのぞんだ展示にしてはたいへんレベルが高いと思う。
あまりに自画自賛するのは醜いことと承知しつつも、もう1点。展示物が学術標本であると言うこともよく表現されている。展示の中核をなしたのは弓矢であるが、類似した作品、あるいはそれより見栄えのよい民族資料は国内外のどこかの機関が保有していることと思う。だが、今回展示した弓矢は並の弓矢ではない。1本、1本の出自、属人データがここまでそろったパプアニューギニアの弓矢標本は世界でここにしかない。高質な研究成果を裏付ける学術標本なのである。総合研究博物館の展示物としてうってつけである。そのことも来館者には十分に伝わるのではないか。
学芸員専修コースは20回目を迎えた。今回のような展示共同制作は意義深い企画であると信じる。主催者側である我々は、受講者に細かいテーマを押しつけたり、内容を所定の方向に持っていったりはしない。したがって、展示の出来映えには毎回の受講者の構成がかなりの影響を与える。今回について言えば、バランスが絶妙であったと言いうる。専修コースの統一テーマは「収集と表現」。標本を収集、分析する研究者、そして表現を専門とするアート系の受講者が図らずもうまくミックスされていた。渡辺教授が残した標本やデータの整理に始まり、文章作り、グラフィック、会場施工、映像・画像の処理、等々、それぞれを得意とする受講者が十分に持ち場を確保し活躍しておられた。
実のところ、わずか5日間であったとは言え、そこには理想の博物館環境が実現されていたのではなかったかという気がしている。小規模館で展示実務を担当しておられる方々にとっては、こうした環境を自前でそろえることは望むべくもないかも知れない。だが、今回のような研修を通じて他館の専門家とのネットワークが構築され、連携が機能するようにでもなれば、理想環境の再現も不可能ではあるまい。受講者の方々のご活躍に感謝申し上げるとともに、企画の果実が受講者にとって末長く、有意義であり続けることを願う次第である。
開館時間:10:00―17:00(ただし入館は16:30まで) 休 館 日:月曜日(ただし12月24日は開館)、12月25日、12月28日―1月4日。1月15日以降は平日のみの開催 入 館 料:無料 会 場:東京大学総合研究博物館2階展示室 本展示は平成24年度学芸員専修コースの一部として下記の要領で制作された。 展示課題:標本の収集と表現 ―渡辺仁収集民族学コレクションを題材に― 制作期間:平成24年11月5日(月)〜11月9日(金) 担当教員:遠藤秀紀(東京大学総合研究博物館)・佐々木猛智(同) 監 修:西秋良宏(同) 制作指導:松本文夫(同)・関岡裕之(同)・松原始(同)・鶴見英成(同) 協 力:池田博(同)・宮本英昭(同)・中坪啓人(同)・石井龍太(同)・中嶋浩子(同)・清水晶子(同)・伊藤泰弘(同)・三家本めぐみ(同) 写真撮影:松本文夫(同) 制作参加者:中川あや(奈良文化財研究所)・下國由貴(株式会社乃村工藝社)・木羽康真(大阪市立美術館)・津波古真由美(公益財団法人沖縄こどもの国)・永越信吾(葛飾区郷土と天文の博物館)・裄V宏美(Bunkamuraザ・ミュージアム)・井上素子(埼玉県立自然の博物館)・揖善継(和歌山県立自然博物館)・山浩司(東京大学総合研究博物館)・椎野勇太(同) |